エピソード2(人生って素晴らしい✨)1章-❶
2026/10/10
冒頭から〜
生きていれば色んな出来事がある
怒ったり、泣いたり、そして喜んだりしている間に月日はめぐる
私だけかも知れませんが手放しに喜べる様な事はほんの一握りしかない。
と言ってnegativeになってはいけないpositive thinkingに生きなあきまへん。
しかしながら、歳を追う毎にそれは段々と薄れていくのでしょー
まあ逆もあるでしょうが、歳を追う毎により活発に精力的に向かう方もいらっしゃるかとは思います。
さて、私はどちらなんでしょうか?
自分では中々わかりませんですが…
でも確実に人生の終わりに近づいている事は現実
と言ってしょげていてもしゃーないので、今を生きるてなもんですね。
幼少期からの事を思い起こすと色んな事がありましたね〜
それは皆さんもそーだと思います。
その中で、悲しい事の方が覚えているかなぁ〜
私は、大阪で生まれ、その地で小中高と進みました
小学校は、お家からまあまあ距離があり、集団登校で学校へ行っていました
多分、昭和のこの頃から集団登校し始めたんじゃないかなぁ〜
その間、畑、田んぼ畑、田んぼだらけの道を果てしなく歩く🚶♀️
そらぁ1年から6年までいっしょなので中々学校に着かない
ちぃっさい子が泣くね
「学校行かへん」「お家帰る」
自分もそーだっただろうけれど
そして中学校へ!
またまた遠いんです
しかし、限定の地域は自転車🚲通学が許可されていた
阪急電車の駅からすぐの場所にあったので範囲が広く全校生徒数は半端やない人数
学校に近づくにつれて自転車がいっぱい
まるで昔の中国のよう
朝礼で運動場に集まると、小さくならえ(?)し、横も詰め詰めにしても到底並べなくって校門の外💦
田舎の都会🏙⁉️
入学して1年5組に決まり、いざ教室へ
絵で書いた様に同じ小学校だったもん同士かたまる感じ
周りを見渡すと、わぁ〜アイツといっしょのクラスかみたいな
で、覚えてないんですが最初は弁当🍙やったなあ
この学校には、食堂があったんです!
他を知らんかったからその時は驚きも無し 後々、色んな人にリサーチしましたが未だ出くわした事ありません、公立中学ですよそれも
4時間目終わりのチャイムが鳴った途端、皆んな食堂にダッシュ💨
食堂に近い場所の教室なので大丈夫かなと思いきや既に長蛇の列
ちょっと待ってなんでなんでどーゆー事
わかりました2年3年はチャイム前に終わっていたようです
並んでいても全く進まない何故?
横入りが横行していていつまで経っても買えないと思ったら売り切れに、えっ、マジ堪忍してよ〜
昼メシ無し 若い盛りにはちょっとキツい
弱肉強食みたいなもんですわ1年にはずっとあたらへん
食堂内は、薄暗くって大きい木の長いテーブルに長椅子
アメリカ映画で出てくる捕虜収容所を想像して下さい
キチキチな間隔なので座る立つが非常にし難い
もうしゃーないので、校則破り!
塀を越えて脱走
そこには、一軒のパン屋がある
忘れもしない名前はみかさやさん
おばちゃん一人で営み店兼自宅
決まってサンドイッチ🥪とコーヒー牛乳
この頃から瓶じゃ無くテトラパックへスイッチ
テトラパックとはどっから見ても三角形、海の波除けといっしょの形(昭和のやつ)
コレが中々飲むのが難しい
穴にストローを挿してチューチューするんですが、ちょっとでも強く持つとストローの隙間から吹き出してきて、手ぇベチャベチャやん
ポピュラーな居場所だけに即嗅ぎつけられる
もちの論先生ですわ
私らに協力的なおばちゃんはすかさず、靴持ってお家に上がりと促す
言う通りにすると聞き込み調査
“ホシは絶対ここに居る”と確信
「ウチの生徒来てませんか」の問いに来てませんではバレる
「さっき帰りましたよ」
奥で声丸聞こえ(^^;;
このやり取りがいつまで続くことやら
なんぼなんでも家宅捜査は、いち中学教師には権限は無い
15歳の頃
まだまだ中学の話しは続くのですが、一旦ここで〆
❷へ続く
ナースK
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